星降りぬ

書かねば。

遠き ”明里” を追う ―「秒速」をみて―

 さて、ブログ開設のあいさつもなく、ちょっと秒速について語りたい。秒速、すなわち「秒速5センチメートル」とは、こんな記事を読んでいる人間にとって説明するまでもない、今を時めく映画監督、新海誠の代表作のアレである。 

 

秒速5センチメートル [Blu-ray]

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 私がはじめて秒速を見たのは、映画「言の葉の庭」が公開された年の秋のことだった。「言の葉の庭」ですっかり魅せられた私は、実家のテレビを占拠して新海誠の過去作を一気に鑑賞した。そのときの私が記した秒速の感想文が、いまもテキストファイルで残っている。

その名も、「届かぬ愛の呪縛と非情な優しさについて」

……鑑賞直後の感傷がにじみ出ていて、かなり痛々しい。

とはいえお蔵入りもなんか惜しい。わりとしっかり書いてるし。手直し、というかほぼ書きかえる勢いだが、どうにか公開して供養したい。

 

―「秒速5センチメートル」をみて―

 

 主人公・遠野貴樹は「残酷に優しい男の子」である。

 いきなりなんだと思うかもしれないが、なんということもない。ニセコイの一条楽、化物語阿良々木暦あたりを想像しておいてほしい。ハーレム的なラノベや漫画でもよく見るタイプの、典型的な主人公のキャラだ。

 彼らは、誰に対しても優しい。だから、女の子の好意は自然と集まるものと相場が決まっている。つねに女の子を侍らせて歩く、天然の誑しである。

 たとえば、上にあげた阿良々木君。みずからの名を冠するハーレムで何人侍らせているのかはもう数えるのも億劫だが、『化物語 上』の「まよいマイマイ」では、のちの彼女・戦場ヶ原ひたぎを、こんなふうにガッツリ失望させている。

「阿良々木くんは、ひょっとして、私だから助けてくれたのかしら?」

「…………」

「でも、そうじゃなかった。そうじゃなかったみたい。そうじゃなくて、単純に、阿良々木くんって……だれでも助けるだけなのね」

(2006年 西尾維新化物語 上』 講談社 pp. 226-7.)

 誰にでも優しい彼らは、逆説的であるが、隣にいる一人の好意にさえ応えられない、時にひどく冷たい人間である。

 

 秒速5センチメートルの「コスモナウト」は澄田花苗の視点から、そんな彼らの非情さを巧く捉えている。ここでの「優しい男子」というのは無論、一連の主人公であるところの遠野貴樹である。

 コスモナウトにおける貴樹は、東京からコスモナウトの舞台である鹿児島に転校してきた中学生であった。鹿児島で生まれ育ったであろう花苗は、ほかの同級生とは明らかに異なる大人気な雰囲気に魅了され、その日のうちに好きになったという。貴樹の立ち振る舞いはコスモナウトでとおして穏やかであり、花苗に対しても紳士的に、つねに優しく接していた。花苗は貴樹と言葉を交わすたびに、姿を見るたびの胸に思いを募らせていく。縹渺とした自分の将来への不安と、溢れんばかりの彼への思いとで必死に悩み、足掻いている彼女の懸命な姿はとても健気で、見ているこちらまで「がんばれー!がんばれー!」と拳を握ってしまう。

 しかし、この恋する乙女の思いが報われることはないとこれまた相場が決まっている。なぜなら残酷な彼らは、優しいから優しいのではなく、だれも選べないゆえに、結果的に止むを得ず、だれにも優しいだけなのだからだ。

 ひとりに好意を向けられない彼らは隣の女性も愛することはできない。

 貴樹は ”非情に” 優しい男子なのである。

  遠野貴樹がなぜだれも選べないか、などは言うまでもない。幼い記憶に息づく篠原明里を追いかけ続けているからだ。明里と心を通わせてから、正確には桜の木の下でその唇に触れて以来、彼の心は ”明里の幻" に囚われ続けている。平たく切り捨ててしまえば新海誠の「秒速5センチメートル」とは、「淡い初恋を忘れられないまま大人になっちゃった残念男子の物語」となる。まったく間違っていないし、言い直してみれば実にありふれた、滑稽な話だ。しかしうっかりこの作品に魅せられてしまったので、そう安直にまとめずに、もうちょっと語りたい。

 

 遠野貴樹にとって、篠原明里は「世界の秘密」である。新海監督はこの言い回しが好きなのか、「言の葉の庭」でも孝雄の独白でも重要な役割を担わせている。世界の秘密、それは儚くて、魅惑的で、神聖である。

 遠野貴樹は「世界の秘密」に恋をした。貴樹が明里に寄せる思いは、世間一般いわれるところの「恋」であり、確かに間違いなく恋である。しかし彼本人にとっては違うだろう。「恋」などという陳腐な言葉よりもさらに大きな存在なのである。彼にとって "明里" は神聖な存在となってしまった。時間の経過が "明里" を神聖な存在にしてしまった。神聖なる存在とは、すなわち手の届かないということである。鮮烈に脳裏に焼き付いた「過去」に、彼は触れることすらできない。彼にできることは、幻影を胸に抱き続け、縋ることのみなのだ。

 純粋な信仰心がときに崇高であるように、叶わなかった恋の思い出を追いかける姿も不思議と強く心を打つ。新海誠の、「秒速5センチメートル」の魅力も、そのようなところにあるのではないかと思う。

 

 ただ、一方で言っておかなければならない。貴樹はグズでどうしようもない誑し、人の心を踏みにじるダメ男だ。

 寝ても覚めても明里のことしか考えられなくなってしまった貴樹は、取り敢えず周囲に優しくしているだけ、もっといえば、周囲に感情のエネルギーを振り分けられないだけであり、花苗もそんな彼の、いつもどこか遠くを見ているような様子から自分のことなぞ「見ていない」と悟り、告白の言葉を胸に呑み込んでしまった。第三部の「秒速5センチメートル」で出てきた彼女も彼からは当り障りのない、却って無いほうが幸せだったであろうほどの中途半端な優しさしか恵んで貰えなかったし、おそらくこの誑しは大学でも近くにいた女子を適当に優しくしてはその純真な想いを踏みにじってきたのであろうと私は信じて疑わない。

 たとえ被害者面をしていようが、彼はいつだって傷つける側だったのである。

 「秒速5センチメートル」という作品を見る者の心は、新海誠の魔術によって美しく描かれた "過去" に共鳴し、そのあまりの遠さを突き付けられて絶望させられ、苦しむ貴樹の心情に自らを重ね合わせる。第三部である「秒速5センチメートル」で "One more time, one more chance" を聞くころには、その振る舞いが如何にむなしく、どれだけの時と他者を蔑ろにしてきたのか、喉元に突き付けられる。

 このような作品で心が抉られないはずがない。衝撃的であり、私が特に好きな作品であり、怪作である。(以上)

 

……と、以上が発掘したテキストファイルの「前半部」である。めっちゃ長ぇ。

 元の文章では、ここから "余談" に進むのであるが、私がいま注目しているのは、この余談のほうだ。

 

 勢いでブログ立ち上げて、そのまま一気に記事書いてるけど眠いから限界。明日以降、その「余談」の話をブログ向けにまとめたい。

 

追記。書いたよ!!

 

stars-have-fallen.hatenablog.jp