星降りぬ

書かねば。

新海誠の小説性と「君の名は。」

副題:「私たちが愛した新海誠は死んでしまったのか?」

 

 新海誠監督の最新作「君の名は。」が公開されてから一か月とすこしが経った。

 街を歩けば前前前世をきかない日はなく、休日の劇場はいまでも満員に近い客入りを見せている。全国紙でも、ヒットの理由を探る特集が組まれた。興行収入は既に日本のアニメ史に残る伸びを見せ、いまだ衰えを知らない。平たく言えば、大ヒットだ。

新海誠監督『君の名は。』勢い止まらずV6 興収128億円で『風立ちぬ』超え

ORICON STYLE http://www.oricon.co.jp/news/2079371/full/

 前作「言の葉の庭」まで、新海誠は比較的コンパクトな、短編アニメーションを好んで制作していた。そのころから一貫して評価されていたのは、背景の圧倒的な映像美である。 

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 アニメーション作品とは思えないほどの写実性もさることながら、反射光をふんだんかつ効果的に取り入れた陰影の描写は、彼の作品以外ではなかなか類を見ることができない。とりわけ、夕闇に差す複雑な光のかさなりや、梅雨時の雨のきらめきなど、空にまつわるものの表現は格別だ。新海誠の描く世界は、妥協なくリアリスティックでありながら、そこはかとなく繊細で、浮き世離れしている。

 しかしもちろん、新海作品の特徴は背景の美しさだけではない。
 特に私が好んでいたのは、「よくまとまった短編小説を読み終わったときのような心地よさ」だ。言の葉の庭以前の作品においては、キャラクターや物語そのもののアクション性に乏しかったものの、人物の心情表現が極めて緻密であった。
 登場するキャラクターは、たいがい表情の変化がすくなく、派手に動き回ることもない。その代わりに、その人物がなにを見て、なにを感じ取り、なにを考えたかはつぶさに記される。よく「新海節」として挙げられる、登場人物のモノローグ(心情の独白)はこれの一側面である。心情が動きとして現れない代わりに、キャラクターはたどたどしくも懸命に、自らの気持ちの動きを口述する。

 これは新海誠が人物の、なかんづく人の顔の描写を苦手とすることに強く起因するだろう。だから、彼がどこまで意識して、または計画してこの方向を選んだのかはわからない。しかし結果的に、新海誠が好んで取り上げるのは、自分の感情をうごきや表情などでうまく伝えることができない壮大な想いに悩む人間の姿となった。アクションとしての面白さ、有機的なうごきの描写を放棄した結果として、彼は人間の心理に寄り添うこととなった。深く描かざるを得なくなった。彼の作品は人間の心の機微の記述に特化することとなった。

 そして、そこに鮮やかな情景画が重ねられる。登場人物の心情は、石畳にはねる雨粒に、誰そ彼時の朱色に、空に瞬く星々の光の中に投影される。人物はみずから精一杯の言葉を紡ぐものの、すべてを言い表さずとも想いを訴えることができる。むしろ言語化せず視覚に訴えたほうが的確に伝わる感情というものもあるだろう。キャラクターの存在が希薄であり動きに乏しいというのも、そのキャラクターの内的世界を投影したスクリーンに影を作らない、という点において、かえって美徳となるのだ。
 モノローグと観る者の心に響く背景画。これによって、新海誠の作品は豊かな人間性を得た。喩えていうと「極上画質の紙芝居」というのがわかりやすいだろうか。これまでの新海誠の作品は、アニメーションよりも小説文学に近い「静の芸術性」を根幹としていた。

 

 さて、「君の名は。」の大きな特徴は、このような「新海節」をつよく抑え込み、快活にして表情豊か、だれにでも親しみやすい作風へと大きく転換した点にある。
 これは、衝撃的な事態だった。結果的に「君の名は。」は、事前のファンの読みを裏切って、大人から子供まで、カップルから面倒くさいオタクまで、幅広い客層に受け入れられた。この劇的な転換については下のブログが詳しかったので、そちらをご参照ねがいたい。

『これまでの作品と完全に逆転してるじゃねえか!「君の名は。」感想』
http://teenssexandwarmode.hatenablog.com/?page=1474630200

GAKImode「17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード」

  っていうか、ここまでの内容もけっこうカブッてるじゃないですかヤダー。

……まあ、本題はここからなので気にしません。

 

 繰り返しになるが、新海誠の転換は衝撃的だった。彼がこんな作品を作るのかとひどく驚いた。しかも嬉しいことに、すごく面白かった。
 やはり君の名は。は面白かったのは、キャラクターが生き生きと動いていたことが大きな要因だろう。三葉ちゃんが笑顔でパンケーキを食べ、瀧君が豪快にシュートを決める。三葉ちゃんが通学に戸惑い、瀧君がおっぱいを揉む。やがてふたりはみずからと糸守町の運命を知り、時空を超えた冒険を始める……。
 これだけ見ると、これまでの新海誠は、静けさと美しさと、饒舌な独白によって心情の機微を見事に描いていたこれまでの新海誠は、完全に捨て去られたかのように見える。依然として美しい背景も、人物の心を映す鏡としてでなく、「動の芸術」を支える、単なるきれいなパーツに格下げされたかのように見える。

 

 では、私たちが愛した新海誠は死んでしまったのだろうか?かつての作風は完全に放棄してしまったのだろうか?やはり背景は動きあってこその存在、アニメーションの奴隷なのだろうか?

 確かにアニメーションとしての面白さ、キャラクターが動く面白さを導入したぶん、これまでの新海誠っぽさが鳴りを潜めたのは間違いない。

 が、私は、糸守町に彗星が落ちるまでの一分間に注目したい。スパークルがサビに入ってからのあの一分間である。ほかにも好きなシーンを挙げればきりがないけれども、あのシーンは特別だ。

 

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 この一分間は、作品の核であり、新海誠の真骨頂ではないかと思う。
 冒頭部の「そういう気持ちに取り憑かれたのは、たぶんあの日から」が指すように、物語は彗星が降るあの日を回想するかたちで切り出されているが、スタートであると同時に糸守町をめぐる冒険活劇のフィニッシュでもある。

 糸守町に落下した彗星のかけらは、すべてを壊していったと同時に、すべてを結ぶ組紐の端緒であった。「スパークル」が流れ出すのは、いまにも彗星が落ちてきそうなその瞬間である。そこまでは、また、スパークルが流れ始めてからもその最後の一分間まで、キャラクターは彗星から町を守るために、三葉をおぞましい運命から守るために、もういちど瀧君に会うためにと悩み、叫び、泣き、走り、とこれまでの新海誠作品では考えられないほどに行動をとり続けた。そこは、本作品で取り入れた「動き」が活きるところである。キャラクターが動きに動き、叫びに叫んだその果て、スパークルもサビに向かって盛り上がり、物語の絶頂に向けて興奮が最高潮に達しようとする。

 しかし、最後の最後までキャラクターが動かし続けたわけではない。

 最後の刹那、新海誠はすべてのキャラクターを沈黙させた。

 そして、ただひたすらに流れる彗星を描いた。

 最後の一分間、それを新海誠は自身が最も得意としてきた方法で描いたのだ。

 最後の一分間は、スパークルに乗せて彗星が空を駆け、地上に墜ちるまでの一分である。「ただ、ひたすらに美しい眺めだった」という瀧のことばも納得の素晴らしい映像であり、これまでの作品でも繰り返しモチーフにされてきた「世界の秘密」が本作でも描かれた形となる。

 また、ストーリーの要と「世界の秘密」的な珠玉の映像表現が、ともに彗星という「空の風景」に一致しているという点もおもしろい。

 際限なく広がる空は、身近なものでありながら、背伸びをしてもジャンプをしてもまったく届かない遠い存在だ。私たちはこれに対して下から首をそらして見上げるほかなく、どうしようもなく無力だ。

 本作の登場人物も例外でなく、神々しく魂が吸われるほど美しいあの眺めに対して取れる行動は、ただ下から見上げるだけである。人智を超えた神秘的な光がゆっくりと夜空をふたつに分けていくあの瞬間に、彼らが直接できることは何もなかった。眺める思いはみんな異なるだろう。大きな存在によって失われる町があり、結ばれる絆があり、忘却させられる記憶がある。それに対して人々はなにもなすことができず、ただ各々の思いを込めて見上げるばかりである。彗星はただ静かに、ひとびとの万感をのせて、空を切り裂いてゆく。

 これはまさしく「静の芸術」である。

 これまで通りの新海誠、いや、これまで以上の構成である。

 星が降ってくる、という現象は、糸守町を舞台としたふたりのストーリーにおいても、小説的な暗喩としても、まさしく人間の所為を超えた「運命」なのである。新海誠はこれを、磨き上げられた自身の背景美術と、それに寄り添う音楽だけで表現しきってみせた。そこまでに描いてきたすべてのアクションを、もはや言語化できないほどに極まった登場人物それぞれの感情を、そして私たち観客すべての興奮を、すべて私たちの手の届かない静かな一筋の彗星に集約し、託してみせたのだ。

 新海誠は新進気鋭の映画監督であり、意欲的に挑戦し続ける姿勢を見せる。そのなかでどこに「新海誠らしさ」を見出すのかはひとそれぞれだろう。私が考える新海誠らしさは、この通りだ。君の名は。は、過去の全否定ではなく、より高みを目指した挑戦なのである。

 

 とまあ、たとえばこんな見方はどうだろう?

 だいぶ記憶によりながら書いたので間違っているところもあるかもしれませんが、とりあえずアップしておきます。なにか気づいたら教えてください。

 つぎは「君の名は。」と新海誠の課題について、次々回はタイトル「君の名は。」の意味を考えるよ(予定)。