星降りぬ

書かねば。

秒速5センチメートルは、「バッドエンド」か?

 勢いでブログを作って2記事目。ひきつづき新海誠の代表作「秒速5センチメートル」の話をしたい。前回の記事は読んでいただけただろうか。

 

stars-have-fallen.hatenablog.jp

 

  読んでない? じゃあムリに読まなくていいですよ。

 要するに、秒速は ”神格化された明里との埋まらない距離” を描いた作品であるという話をしていた。貴樹はたしかに明里に恋をしていただろうが、彼女との距離がひらくにつれて、明里の存在と雪原での思い出は神格化にちかいレベルで美化がなされた。人間としての明里に恋をしているのではなく、神聖なる幻影に恋をしているのである。これではもはや、貴樹の明里に対する感情は、恋愛よりも「崇拝」といったほうが近いかもしれない。そんな内容である。

  さて、この秒速5センチメートルであるが、かねてより観る者の心を深く抉る、いわゆる「鬱アニメ」として知られていた。

 純粋で美しくもはかない恋の思い出を巧みに切り取った「桜花抄」となにも得るものなく空っぽのまま大人となり、自身を摩耗させるだけの日々を送る「秒速5センチメートル」の対比は凄まじいものがあり、特に後者は、青春が思い出となり心の弾力を失いつつある20代~30代男性が抱える、漠然とした不安や劣等感、虚無感と見事に共鳴する。美しいキスはより美しく、残酷な現実はより冷淡に描く、新海誠の映像美は物語のインパクトをさらに強めており、彼にしか築き上げられない芸術世界には熱狂的なファンがついていた。

 このファンの一部で薄らぼんやりと共有されているのが、今回話題としたい「秒速5センチメートルは、バッドエンドの物語である」という認識である。

 

 流れ的にいうまでもなく、私はこの「バッドエンド論」に首をひねっている。

 たしかに第三章「秒速5センチメートル」はやり場のない閉塞感に鬱屈とした貴樹のつらい日常が描かれており、ハッピーエンドには程遠い雰囲気である。でも、もうちょっと考えてみてほしい。

  話を簡単にしよう。もしも、秒速5センチメートルが「明確にバッドエンド」ならば、どうなるか。

  無情な時の流れによって貴樹は冴えない大人の一員に成り下がるも、どこか幼いころの初恋が胸に引っかかったままで、駅のホーム、交差点、すれ違う人のなかに明里の姿をさがしてしまう。「もう一度会いたい。」貴樹の強い念がつうじたのか、桜舞う春のある日、かつての通学路であった踏切で、彼は、美しく成長した明里とすれ違う。しかし、一瞬の反応の遅れから遮断機と電車にさえぎられてしまい、ふたたび線路の反対側が見えるようになったころには明里の姿はなかった。来た道を戻り必死になって探すも、もはやどこにも見つからない。貴樹はがっくりと膝をつき、みじめに嗚咽を漏らした。

  これならば、紛うこと無きバッドエンドである。見つけられたが明里に忘れられていた、とか、彼氏と楽しそうに話してて近寄ることすらできなかった、とかでもいい。明里に対する想いが一方的に空回りし、なんの救いも得ることができなかった貴樹、まさしく悲劇というほかない。

 ところがどっこい、本作の最後はこうなってはいない。
 踏切で明里とすれちがった貴樹は、電車の過ぎ去った線路の向こうに彼女がいないことを確認する。追えば間にあうだろう。

 しかし、彼はふっと笑みを漏らし、くるりと前へ向き直るとそのまま歩み去ってしまう。これはどういうことなのか。

 解釈の可能性はひとつではない。

 ようやく心を縛っていた幻影を「むかしの美しい思い出のひとつ」として整理する決心がつき、新たな、彼自身の人生を歩み始める、そんな心持ちの変化が現れた描写なのか、または、明里がいまは彼女自身の生活を送っていることを静かに悟り、そっと身を引く刹那を描いたのか。もしくは、もう貴樹にとって現在の明里がどう生活しているのかなどどうでもよいのかもしれない。彼が崇拝しているのは想い出の中の明里、神聖なる幻影であるところの「過去の明里」であって、いまさら世俗的で神秘性の欠片もない「現在の明里」になぞ魅力を感じない、そういった捉え方もできる。

 いずれにせよ、「ふっと微笑んで歩き出す」というのは、安直なバッドエンドとはちょっと食い違う表現なのだ。この微笑みの中に、私たちは彼の決意を、救いを、考えを、これからを、読み取ることができる。
 ハッピーエンドというわけではない。しかし、この一瞬に貴樹の思いが詰まっており、かつその結末が明示されないだけ、物語の幅が広がって味わい深いものとなる。わかりやすいバッドエンドで物語を締めないおかげで、私たちは、貴樹の「明日」を思い描くことができる。

 

 つよく言い切れば、「秒速5センチメートル」は決してバッドエンドではない。「秒速5センチメートル」は、貴樹が「明日」へ踏み出すまでの過程を描いた物語なのである。

 最後に、恐れながら新海誠監督がこの作品に寄せたメッセージを紹介し、記事を閉じたい。

我々の日常には波瀾(はらん)に満ちたドラマも劇的な変節も突然の天啓もほとんどありませんが、それでも結局のところ、世界は生き続けるに足る滋味や美しさをそこここに湛(たた)えています。

現実のそういう側面をフィルムの中に切り取り、観終わった後に、見慣れた風景がいつもより輝いて見えるような、そんな日常によりそった作品を目指しています。

コミックス・ウェーブ・フィルム秒速5センチメートル』公式サイトより
新海誠監督 本作に寄せて」

http://www.cwfilms.jp/5cm/director/index.html(2016年10月2日取得)